日記

あの頃の春は、海風に乗ってやってきた。穏やかな瀬戸の海から

梅の便りが届いた。まだ数輪とのことだけど、春は確実に近づいてきている。数日後からは寒波襲来との予報もあるが。
梅の後は爛漫の桜。若い頃は30、特に20代の頃は毎年花見に出かけた。花が咲いたと聞くと居ても立ってもいられなかった。

私の花見のホームグラウンドは井の頭公園。家が近かったので毎年友人たちと花を楽しんだ。今思い出せばとことん恥ずかしい。が、若さと花がシンクロしたのだと思う。

桜の花の向こうに、海が見えた

故郷の広島廿日市でも花見をしたことがある。35歳の頃だったか。
桜尾という名前がついた公園があった(今でもあるかもしれない)。つまり桜尾公園。

尾というのは、うちの方では、小さな半島という意味で、沿岸に突き出した少し小高い細い地形を「尾」と呼んだ。きっと桜が多く咲いた尾だったのだ。

だから桜尾公園はその尾のてっぺんあたりにあったので、穏やかな瀬戸内海を見晴らすことができた。
いつから桜尾という地名になったのか調べていないが、随分前から呼ばれているとしたらそれは山桜だったのだろう。

ちなみにその近所に櫻尾の名前にちなんで「サクラオブルワリーアンドディスティラリー」というお酒を作る蔵がある。最近まで中国醸造という名前だったがなかなかいい名前に変えたなと思う。
ジンやウイスキーに櫻尾ブランドがあるらしい。

普通に海を見ていた。本当は普通ではなかったのに

それで話を戻すと、中学時代の友人と桜尾公園に行って花見をしようということになった。
中学時代は僕はテニス部に所属していて、学校のグランドから桜尾公園までよく走っていた。

桜尾公園は、尾にあるので、つまりそれは高台にあるということになる。
しかも沿岸に突き出した小高い細い地形だから、その公園からは瀬戸の海を見晴らすことができた。

中学時代、この景色は僕たちにとっては特別なものではなかった。中学から十数分走ってくればいつでも見れる、美しいが、いつもある、大切とは思わない見飽きた風景だった。

友人たちと連れ立って、花見のために桜尾公園に上がった。中学時代のように軽快にというわけにはいかない。
少し息を切らして公園に上がると、すでに出来上がった花見を楽しんでいる地元の人たちが多くいた。
僕たちの脚は自然と、海が見える方に歩いて行った。

そこに、あの頃の景色は無かった。

見えたのは、埋立地と整備された区画を占めた幾何学的な多くの建物だった。物流や大きな小売店、倉庫などが立ち並んでいた。

故郷から出たものが言うことではないかもしれないが

僕は今、鎌倉に住んでいる。国道134号線の材木座から由比ヶ浜、七里ヶ浜まで、走ったり散歩したりすることがあるけど、その景色は素晴らしい。砂浜と波と。サーフィンやサップボードで遊んでいる人、その沖にはヨットが走る。砂浜を散歩する人。みんな海や海岸を楽しんでいる。

これは僕が子供の頃、地元の海で見た景色によく似ている。桜尾公園から眺めた海の景色と。内海と外海の違いはあるけれど。

どちらがいいのかはわからない。
そして故郷から出てしまった私には、何も言う権利はないのかもしれないのだろうけど。

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