エッセイ

カルカッタで飲んだお茶は、漆黒の瞳の美少女のようだった

なんの映画だったか忘れてしまったが、
敵のアジトに、仲間であると装って侵入し、敵のボスと相見えるシーンがある。
ボスはその主人公に酒を供する。
主人公は毒が入っている可能性を訝しがりなが、ボスの顔をまっすぐに睨みつけ、数秒後に一気に盃を煽っる。
主人公は倒れることなく、安堵し、またその酒の美味さに驚く。
緊張感でヒリヒリしたシーンだった。

30歳を跨いで、インドに行った。今の僕の年齢から30を引けば、35年も前の話であることがわかる。
マザーテレサに会いに行くのが大きな目的の旅だったけど、その話は別の機会でするとして。
このインドの旅で、今紹介した映画のようなシーンを体験した。

カルカッタの駅の側の屋台にて

僕たち数人の旅行客を乗せたプロペラ機は夜のカルカッタの飛行場に着陸した。既に闇は降りてきていた。飛行機の扉が開くと、熱帯の花の香りが入り込んできた。
タラップを降りるとそこには数人のインドの女性が並んでいて私たちにインドの白い花で作った首飾りを掛けてくれた。
甘くしかし凛とした香りが闇に漂った。

ホテルで一泊し次の昼にはカルカッタの鉄道の駅に移動した。
独特の臭いがして、人がまるで湧いているかのようだった。

その日、僕たちは、鉄道でベナレスまで夜行列車で移動する予定だ。
列車はまだホームに入っておらず、まだまだ待ち時間があるようだった。
時刻通りに出発する列車なんて、インドでは異常だろうし。

列車を待ちながらも手持ち無沙汰にしていると、一緒に旅行しているミュージシャンでドラマーの雅(彼のことはあの時も今もそう呼んでいる)が、近くで商いをしている屋台に目をつけた。
屋台まで行って店主と話をしている。
どうやらその屋台はインドのお茶を飲ませるらしく、店主は、このお茶は絶対に美味いから飲んでみろ日本人、と主張していらしい。

雅はそういう少し怖そうな、でも面白そうな誘いに乗る男なのだ。
そしてついでに、友人を誘う男なのだ。

もう、飲むしかないじゃん

「イチローくん(僕はそう呼ばれていた)、これ美味そうだよ、飲んでみようよ」
ほら来た。これだよ。
水をはじめ、アジアの国では液体を体に入れるときは気をつけろ、というのは当時の常識だ。
30歳跨ぎの折角のインド旅行をお腹を壊して台無しにはしたくないんだよ。
「いや、僕は遠慮しとくは」と僕が答えるより先に、飛鳥の声が聞こえてきた。
「飲もうよー、一緒にーー」
飛鳥はエレクトリックバイオリニスト。当時、雅と交際していた。

もう、これは断れないかな、と思っていたところにさらに声がかかる。
「大丈夫だよ、一度沸騰させてるんだから」
確かにそうだ。
科学的に考えれば沸騰させた熱湯で淹れたお茶なら問題ないはずだ。

ちょっと待て。お茶自体は沸騰させるからいいとして、器はどうなんだ?
屋台のディスプレイを見てみるとどうやら陶器的な器にお茶を注いでそれて飲むらしい。
やばい。
器を洗う水は沸騰していないはずだ。
よくウイスキーの水割りなどで氷が盲点になるから気をつけろ、と言われるが、この屋台では器が盲点だ。
「でも器がを洗う水は…さん」と抵抗を示そうとしたその時、
お茶を飲み終わった他のお客(もちろんインド人)が、その器を激しく地面に投げつけた。

そのお茶は、素焼きの底がとんがった器で提供された。赤褐色の薄い器だ。
どうやらその器は、飲み終わったら地面に叩きつけて割るのだ。土を大地に返すのだ。
う〜む、なるほど。器を使い回さないのだからその点に関しては衛生面で問題はないだろう。

もう、いいや。
と僕の中で誰かが囁いた。
カルカッタの駅の屋台でお茶を飲む。それもいずれ僕の武勇伝になるかもしれない。
自分に対する言い訳を考えながら
「じゃあいただこうかな」と微笑みながら、しかし震える声で僕は答えた。

そのお茶の名は

赤褐色の皮の薄い器に、その茶色の液体は並々と注がれた。
湯気が立つ液体の表面には黒や茶色のいろいろな形と大きさの固体が浮遊している。
僕はその容器を右手に握りしめて、しばらく表面を見つめ、次に店主を睨みつけた。
店主は、僕を挑発するようにニヤついている(その時の僕の感想です)。
「飲めないのか? このへなちょこ野郎。お前はサムライではないのか?」
これは店主が発した言葉でなく、僕の頭の中で自動再生された内容だ。

恐る恐る口を器に当てて、一口含んだ。
あれ、美味いかも。
いや、確かに美味い。
こんなお茶、飲んだことない。

それが僕とチャイとの出会いだった。
日本では会うことができない、その国の独特な特徴を持つ美少女とあったような感覚だった。

僕はお腹を壊すこともなく、数時間後には夜行列車の旅の人となった。
もちろんインドの旅だ。その列車の中でも恐ろしい体験をするんだけど、このこともまた別の機会に。

日本に帰ってから。

それから数日後、日本に帰ってきてチャイが飲みたくなった。
しかし当時に日本には、チャイを供する店は、少なくとも僕の探した範囲では存在しなかった。
旅先で出会ったとびきりのチャイとは、それから数年、いや十数年か、会えなかった。

お勧めの、チャイが飲めるお店

今では、いろんなところでいろんなチャイを楽しむこことができるようになった。そしてたくさんのお店でチャイを飲んだ。
かつて飲めないが故にチャイに恋焦がれた私が、今、お勧めるお店を2軒ほど紹介しよう。

一つは、沖縄のコザのパークアベニューにある「インド屋コザ」
経営はインドからやってきた一家がされていると思う。インド雑貨を販売しているが飲食もできる。
私はある時期、コザに通っていたことがあり、その時に通うようになった。
店主はルックスはインドの方。しかし流暢な日本語使いである。怪しさたっぷりのお店。
チャイは本場の味がする。
ここの店主に、私のインド旅行の体験を話したところ
「確かに昔はそうだったね。素焼きの器に注いて、飲んだら投げ捨てて割るシステムだったよ。
でもきっと、今はそんな見せないよ、懐かしいね」と語ってくれた。
僕は、やはり貴重な体験をしたのだと思う。
二人のミュージシャンには感謝するべきだろう。

もう1店は僕の故郷広島。
「HOSHINO」というアンティークのお店だけど、軽食と飲み物も出してくれる。
このお店の特徴は、主人が美人である、ということだ。
それだから僕が広島に帰るたびに寄っているわけではない。(まあ、それも理由の一つかもしれないが)
チャイが絶品なのだ。一度飲むとここのチャイはやみつきになる。

p.s.
この記事に登場した二人のミュージシャンは、カルカッタから移動した先のガンジス川に入り、泳いでいた。
もちろん僕も誘われた。「気持ちいいよーー」。
その誘いの乗ったか乗らなかったかは、もう記憶にない。ことにしておこおう。

(注:この記事の情報は2024/01/07のものです)

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