エッセイ

明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるように学べ。

2023年もまた「あっという間に1年が終わったね」
と僕も多くの人と言い合った。
「歳とると生きてきた年数が長く感じるんだよ」
ともっともらしいことを言いながら。

でも、それは本当なのだろうか?
科学的には本当かもしれないけど。
実は、僕が大したことは考えず、ボーッと目の前を流れる時間をやり過ごしていたから、あっという間に終わってしまったのではないだろうか。

現実とはなんだろう

正月元旦から、厳しい現実があることを思い知らされた。
喉元過ぎれば熱さ忘れる。

禅の老師は僕に言う。
「禅という字を見れば、単(ひとつ)を示(しめす)となっている」。」

禅は一つであることを知ること?なのか?

今、ここだけを生きろ、と。
時間と空間を一つにして生きろ、と。

僕は正直、何もわからない。
ただ、それをやるしかないのだから、やるしかないのだ。きっと他に道はない。

色々思うことはあるけど

こんな現実の現象を見れば、それは色々思うことはある。
大阪万博とかやめればいいんじゃないか?そのお金を復興に使おうよと。
自民党の人たちのキックバックだけじゃなくて、国会議員は自分の損得勘定だけでしか動かない人の給料を猛烈に減額してその分今回の被災地に回した方がいいのではないか、と。
リニアモーターカーとかもう諦めて、もっとその開発費を回すべきところがあるんじゃないのだろうか、とか。

でも、そんなことを思ったところで、多分、どうにもならない。
今、僕はそんなことをやるポジションではない。つまりそういうご縁ではない。

自分のやることを、今、ここで、必死にやるしかない。やり詰めるしかない。

老師は言う。
「今、ここを生きれば、菩提心が発動する」と。

菩提心はきっと、大きな何かにつながってい、何かいいことを起こしてくれるはずだ。

そう信じながら、今、ここに生きる。それしかないし。
このブログのテーマでもある
明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるように学べ。
この言葉を座右の銘とするならば、少しでもその生き方に近づこうと思う。

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