臘八接心に参坐して迷いが吹っ切れた、と言うことを書こうと思ったのですが……

臘八接心に参坐して迷いが吹っ切れた、と言うことを書こうと思ったのですが……

ここ数か月、ご縁があり坐禅に参加したりしています。
お寺は浜松の西見寺。曹洞宗のお寺で、ご住職は井上光典和尚。
秋のはじめ頃からのご縁で、とにかく、和尚様にお会いしてお話しするだけで、これまで体験したことがないえも言えないエモな時間を過ごすことができるのです。
心の、これまで触れたことがない部分が刺激された感じがして、どう言うわけか、笑いが湧き上がってくる。
このことに関しては、
鰻と禅の記事にも書き込んでありますので、ぜひ、読んでくださいね。

そして、12月の6、7、8日と、臘八接心に参加させていただいたのです。

朝、5時20分から、夜の21時まで、坐禅、坐禅、坐禅

臘八接心は、多くの曹洞宗の寺院では、12月1日から8日まで、徹底的に坐禅する修行だそうです。
お釈迦様が、12月8日明けの明星が輝く頃、悟りを開いた日。
私は、その臘八接心に参加してきました。
12月1日ではなく、6日からですが、8日の夜まで、しっかり坐禅をしてきたのです。

老師に出会えてこその、参禅

なぜ、坐禅なのか?と問われれると、いろいろ思いはあるのです。それはもう、高校生の頃からヨガや武道に興味を持ち、パーソナルトランス心理学が好きで、大学時代も社会人になっても「今、ここでだぞ」とか言ってたわけですから。ま、もともと好きだった、と言うことが一つの理由。

一方で、ぼんやりあるのは、政治や行政、そして日本の資本主義的経済は終わってしまったな、と感じていて。
酷いもんですよね、自分の思い込み(おじいちゃんに言い聞かされて刷り込まれたことを実現するために政治をやっているとか)や欲を満たすために政治や行政が行われているわけです。また日本の経済界(日本だけではないのでしょうが)も、世のため人のため、なんて人はほとんどいなくなりました。
選挙も機能しない。もう、どうしようもないのです。
なぜ、こうなったか、と言うと、結局は煩悩なのですよ、煩悩。煩悩が今の悲惨な状況を作るならば、その煩悩をしっかりと見つめなければんらないなあ、と思ったのです。

仏教 最高、禅 最高

人間の苦しみは、煩悩から生まれる。煩悩とは自我である。それを消せば、人は幸せに生きることができる。
四苦八苦の原因は煩悩であり、八正道を進めば涅槃の状態になれる。
これこそがお釈迦様が悟った内容ではないか。
今の日本に、最も必要なこと。
では、どうすれば、この道にたどり着けるのか。
煩悩とは自我である。
自我を消して、今ここにある自分一つに成り切るのが禅である。

つまりですね。
A:苦しみを生むものは、煩悩である。
B:煩悩=自我
BをAに代入すると
苦しみを生むものは、自我である。
と言うことになりますね。
これをCとしましょう。

C:苦しみを生むものは、自我である。

で、禅は、自我をすのですよ、今、ここで自分一つになり切ることで。
と言うことは、禅を修めることで、自我を消すことができる。すると苦しみを生むものがなくなる。

と言ったこともあり、今、禅なのです。
おそらく、私は、ずっと禅を続けることになると思います。

人生60年生きてきて。ほんとたかだか60年なのですが、今、たどり着いたのはここなのです。
それは、浜松の西見寺の井上光典老師にご指導いただけると言う奇跡的なご縁に恵まれた、と言うことが大きいのだとも思いますが。

さて、お知らせです。
「面白い本、役立つ本を紹介します」と言うサイトを運営しているのですが、今回、こちらに引っ越しました。
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人生の参考になる本、参考にはならないかもしれないけど面白い本、たくさん紹介しています。
ぜひ、ご覧になってくださいね。

それから、これまでの日記は
こちらにリンクされています。
ぜひ、読んでみてくださいませ。
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