お風呂に入るのが苦手だ。1週間くらい入らなくても平気なのです。もちろん平気なのは私だけで周囲の人たちは平気ではないのかもしれないが。落合陽一さんも同じようなことを発言されていて、嬉しかった。
これだけ苦手なお風呂なのだが、これが温泉となると話は違ってくる。
温泉宿に到着するや否や、饅頭をいただきお茶を飲んだら、浴衣姿で温泉に急足で向かう。その後も時間の隙を見つけては、可能な限り温泉に入る。
これは一体どういうことだろう。
私の学生時代からの友人に、コーヒーが嫌いな男がいる。「ただ苦いだけの黒い液体じゃないか」と。さらにこいつは牛乳が飲めない。「なんだか乳臭い」と。そりゃそうだろう、乳(ちち)なのだから。
ところが、彼はコーヒー牛乳は大好きだ。
若い頃、一緒に銭湯に行った時(あの頃は、住んでいたアパートに風呂はなかった)、風呂上がりにコーヒー牛乳を飲んでいたのを思い出す。そう、左手を腰に当てたあのポーズで。
少しズラすと何かが見えてくることがある
お風呂は苦手だが、温泉は好き。コーヒーも牛乳もダメだが、コーヒー牛乳はオッケー。
なんだか面白い。
ちょっとズラすと、あるいは少しだけ考えを変えると、何かが見えてくることがある。
三度目の正直、と言うが、二度あることは三度ある、というし、君子危に近寄らず、と言うが、虎穴に入らずんば虎子を得ず、とも言う。
矛盾してるなあ、いろんな考えがあるなあ、諺のリスク管理か、などと思うこともできるけど、私はこの矛盾しているところに真実が隠れているのではないかと思う。
壮絶な人生と冷徹な目
このブログのタイトルでもある「明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるように学べ」は、ガンジーの言葉とも言われているが、そうでもない、と言う説もある。真実はわからない。が、この文章には真実があると思う。
明日死ぬ、永遠に生きる。この全く逆のことを合わせた時、何かが見えるように思える。
「悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」
これは正岡子規が残した文章だ。
結核や脊椎カリエスを抱えながら現実というものを冷徹な目で見通した俳人ならではの、発見だったのか。
平気で死ぬ。ではなく、平気で生きる。
ここにも真実に通じる門があるような気がする。
