母が昨年の秋に亡くなった。
世間的にはずいぶん長生きだったので、大往生ですね、と言われることもあるが、その降り注ぐ愛に96年近く守れたてきた人間としては、その寂しさは底知れない。
まるで母が、僕の部屋を覗き込んでいるようだった
この前の年末年始は、母がこの世いない年越しで、もちろん初めてで、祝い事も慎みながら過ごした。
もう松の内も終わる頃の夜、窓の外が明るいのでカーテンを開けてみたら、そこに丸い月が浮かんでいた。
月明かりほど、僕の気持ちも明るくなった。暦を確かめたら満月だった。
母の気持ちが、お月様の光に乗っかって、僕に届いたような気がした。
それくらいのことはする母だった。
あれは小学校の低学年の頃だったと思う。母と二人で、近所の夜道を歩いていたことがった。なぜあんな時刻に外出していたのかは全く覚えてないけど、夜空にまん丸い月が浮かんでいたのは覚えている。
その月を見上げて歩いていたのだけど、月が追いかけてくるので少し怖くなった。母にそのことを話したら「何で追いかけてくるんじゃろうね、家に帰ったら考えてみんちゃい」と笑顔でそれだけ答えてくれた。
まあ、母との思い出は色々ある。
それは少しずつここでアップしていこう。
丸か、四角か。
ついこの前、YouTubeで成田悠輔さんが登場するプログラムを見ていた。
これまで何回も成田さんの番組を見たことはあり、これまで特に気にならなかったけど、この時は、気になった。メガネだ。
左右形の違うメガネ。
四角と丸のメガネ。
そういえば、今年の正月はお雑煮を食べてないなあ。
成田さんのメガネが、丸餅と角餅に見えてしまったのだ。
僕は広島出身なので、母の雑煮は丸餅をいりこ(煮干し)やカシワなどで出汁を取った清汁で煮たものだった。
丸餅の少しトロミが出てきたと部位に清汁をさらに絡ませて啜る。
これが美味かった。当たり前のように母がいてくれた正月の味だった。
東京に出てきて2年目の秋に、通っていた大学の学園祭でお雑煮屋の模擬店を出した時に先輩から東京の雑煮の作り方を教わった。
その時、東京の雑煮は角餅でしかも煮ないことを知り衝撃を受けた。
自分で食べてみたが、まあ、美味しいけど、やはり雑煮は丸餅を清汁に煮込む。これが一番美味いと確信した。
その愛は、月のようだった
そして、今。
もう、母の丸餅の雑煮は食べられないんだな、としみじみと思う。
雑煮は、誰がなんと言おうが母が煮込んでくれたものが一番美味い。
ここに関しては異論は受け付けない。
多分、まだ僕が小学校にも上がってない頃だ。
お正月のお雑煮を食べながら、
「なんまるお月様じゃ」「半分の月になった」「三日月じゃ」と少し遊びながら食べてたら、
「面白いけど、ちょっとお行儀が良くないよ」と嗜められた記憶がある。
母は優しかった。圧倒的な優しさだった。
改めて窓の外の満月を見る。
少しだけ、まんまるが揺れていた。
