これは僕が代ゼミで浪人をしていた時に現代国語の椿本昌夫先生に授業中に聞いた話だ。
「『ある日、潮干狩りに来ていて夢中で貝を掘っていると、気がつくと周りは既に汐がで満ちていて、自分がいるところだけ島のようになっていて、肝が冷えた』 。大事なことは突然やってくることがあるからね。」と。
そして「徒然草にある話」と付け加えられたように記憶している。
が、その後、徒然草のどこを探しても出てこない。
椿本先生が間違えるはずはないので、僕の記憶違いなのは間違いなんだけど。
父の命日は1984年11月23日。勤労感謝の日だった。
父の他界についてはこのサイトでも結構書いてるけど、死ぬ前の1年間からにどうも面白い現象があったので、それを記しておく。
父の他界は、突然だった
社会人になって1年目か2年目か。当時はまだ携帯電話がなかったから、母から当時私が勤めていた会社に電話がかかってきた。秋が深まってきた
父が倒れた。脳血栓。だけど命に別状はない。
確かに、体が思うように動かなかったり、うまく喋れなかったりしたが、医者はリハビリをすれば元通りに回復する、とのことだった
ところが異変は7日後に起こった。
まあ、詳細は書かないけど、医療ミスだ。
父は自発呼吸ができなくなり、3日後(だったと思う)に他界した。
突然だった。
1年前から父の奇妙な行動
父は突然亡くなったと思っていた。
潮干狩りをしていたら、もう、汐が満ちてきていたように。
ところが、母に話を聞いてみるとそうでもないことがわかった。
亡くなる前の1年前から、無性に昔の友人に会いに行っていたそうだ。
父は車の運転免許を持っていなかった(どう言うわけか運転はできたが、もちろん公道ではしていないですよ)ので、自家用車でどこかへ行くときは、母が運転させられた。
母の証言によると、他界する1年くらい前から、とにかく「誰々のところに連れて行ってくれ」と連れ回されたらしい。
広島で生まれて広島で育って広島で働いていた父なので、多くの友達は広島にいたわけだけど、それでも、山陰などにも昔の友人はいて、母は父と共に何度か中国山地を越えたり、関門トンネルを渡ったりしたそうだ。
1年間で、たくさんの昔の友達と再会を果たしている。そして他界した。
その再会は、まるで、さよならの挨拶をするためのようだった、と母は僕に話してくれた。
まさか、こんなに早く亡くなるとは。しかし、思えば予兆はあった、と。
注意深く寄り添っていればわかることなのかもしれない。
そして父は、自分の死期を感じていたのではないだろうか。自覚はしていなかっただろうけど、本能として感じとっていたのではないか。
僕は、最近、やたら旧友に会いたくなってきている
さて、僕の話だけど。ここのところ、無性に昔の友達に会いたくなっている。
特に数人、絶対会いたい、と思っている旧友がいるけど、SNSで探してみても、友達づたいに調べてみても、辿りつ泣かない。
奴らは今、何をしてるんだろう。30分でもいいから会って色々話をしたい。
でも、もう会えないかもしれないな。
父の遺伝子を引き継いているので、僕も、1年もしないうちに他界するかもしれない。
Live as if you were to die tomorrow.
Learn as if you were to live forever.
明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。
p.s..椿本先生は、既に他界されたそうです。
