エッセイ

お元気で、ただただお元気で。来年の1月3日こそはお話を聞かせて下さい

毎年1月3日は、大学3年生と4年生の時にお世話になったゼミの教授と会食をすることになっている。何人かのゼミのメンバーが集まる恒例行事だ。記憶にはないが、ずいぶん前からやっていて、どうなんだろう。20代の頃からやってたんじゃないかな。それで気づいたら、僕らゼミ生はもう60代後半になっている。大学のゼミの先生は90歳を超えられている。もちろんお元気だ。

しかし、僕は今年もそうだが、去年も2年連続で、この先生と新年を祝う会に行くことができなかった。

いや、こうやって今文章を書いている今まさに、ゼミの教授とその時の学生たちが集まって、新宿で楽しい時間を過ごしているはずだ。
なぜ僕が2年連続行けてないかというと、2年連続風邪をひいて寝込んでしまったからだ。大学のゼミの友人たちにも会いたいが、やはり一番会いたいのはN教授だ。今は名誉教授のはずだけど、当時の呼び方から先生と呼ばせてもらおう。N先生。

私は大学では地理学を勉強した。勉強したという言葉を使えるかどうかは分からないぐらいに、なんか全然ダメな学生だったけど、今思うともっともっと勉強しとけばよかったなと本当に思う。

大学4年生になって、N先生に進路の相談をすることになる。「先生、私は大学院へ進学したいんですが」「いやいや、お前は大学院は似合わないな。なんかマスコミとかそっちの方がいいんじゃないか?」
その頃、先生の評価は、こいつにはどう考えても大学院は無理だ、ということだったんだろう。まあ、今考えれば、至極真っ当なご判断だと思う。大学院なんて、僕の勉強具合では、全く何の意義も見出せなかっただろう。

おかげで僕は、あるメーカーにコピーライターとして入社することになる。当時は、コピーライターブームというものが世の中を席巻していた。僕は、コピーライターと名乗れることにとても喜んでいた。
結局、今もコピーライターをやってるけど、おそらく当時の先生の判断は、何人もの学生を見てきて正しかったのだと思う。

この辺りのエピソードは「いつか あの谷で 3人で酒を酌み交わしたい 海風が谷まで届く季節に」に掲載した。
数年前にこのエッセイで書いたN先生のことだ。

大学院を否定された僕は、コピーライターになって、それからいろいろコピーライター以外のこともやっていくんだけど、姥捨山の近くの旅館でお話しができてやっとN先生も僕のことを認めてくださった。まあ、認めてくださったっていうことはないんだろうな。まあ、よくやったよっていう、ちょっとしたご褒美のようなことだったんだと思うけど、それでも僕はとても嬉しかった。

僕はN先生とはいつも話していたい。
前のエッセイにも書いたように、酒を酌み交わしたい。
本当に二人でいろいろ話し込んでみたいけど、先生の幾重にもなった、あるいは先生の研究対象であった棚田のように幾重にもなった、知性と経験と、それから教養から比べれば、僕のようなものは薄っぺらすぎて、吹けば飛ぶようなものだから、おそらく酒の酌み交わし一回も持たないだろうな。
もう、僕の気持ちは来年の1月3日に向いている。
先生、来年こそは僕も養生しますので、ゼミのみんなと一緒にまた酒を酌み交わさせてください。
それにしてもN先生は多くの人から慕われて素晴らしいと思う。
僕なんかは到底かなわない。
僕は今年の9月で67歳になるけど、先生とはそうだな、20年と少し年齢の開きがあるんだけど、僕のことを慕って、ぜひ酒を飲みましょうって言ってくれる人は、どこにもいそうにないな。
それでも僕は、少しでも楽しい人生を送ろうと思っている。そのために今日も文章を書いている。

 

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