小林秀雄が好きで。まあ、好きとしか言いようがなく、思想に共感するとか、そこまで理解できてないのでそういうのではなく、とにかく、好きなのです。
なぜ好きか?
それは、数日前にアップしたこの記事に登場する椿本先生が、よく小林秀雄の話をしてくれてたから。
僕は、あまり読んでなくて、わからないというか知らないなりに小林秀雄が好きになり、大学に受かったその年に、当時下宿をしていた池袋と要町の間の昔ながらの商店街にあった古本屋で小林秀雄全集を買った。
ただし、読んでない。
今思った。しっかり小林秀雄を読もう
小林秀雄の著作に関しては、無常という事は、何度も読んだ気がする。いや、読んでるんだけど、間違いなく、僕の血や肉になってない。
多分、何が書いてあるのかわからないんだと思う。
そして今、僕は何を書いているのかもわからない。
元々、何を描こうか決めて書き出していないからな。
ところで、僕の部屋には、無常という事が掲載されている本が数冊ある。そして今、Kindle版を買った。
今度こそ、しっかり読もうといいう決意だ。
そしてこの決意は、小林秀雄を知った椿本先生の授業以来、何度もしているけどな。
やはり、オイスターの話が僕に取っての無常という事だ
Nという親友がいる。
まだ彼と同じ会社に勤めたいた頃。しかも20代だったと思う。つまり40年くらい前の話。
盛岡に友人がいて一緒にスキーに行こうということになり、何人かと連れ立って出かけた。その中にNがいた。
盛岡か、どこか忘れたが、スキー場に入る前の晩に、地元の居酒屋で酒を飲んだ。冬なので牡蠣が美味いということで、Nはそれをたらふく食べた。
僕は、今でもそうであるように牡蠣は苦手だ。美味しいと思ったことがない。
だから一口も食べなかった。
みんな美味しそうに食べていたが、その時のNの牡蠣の食べ方は少し異常で、美味い美味いといいながら、殻付きの生牡蠣を2皿ペロリと平らげた。
それだけでももう大量に食べてるわけだけど、なんと彼は3皿目を頼んだ。
1つ2つ、美味い美味いと続けながら口に放り込んでいたが、突然その動きが止まった。
急に食べれなくなってしまったのだ。
理由はないのだろう。その時、Nはこう言ったように記憶する。
「あれ?もう、牡蠣が欲しくなくなった」
彼の牡蠣好きの人生は突然終わってしまったのだ。
これを無常と言わずして、何を無常と言うのだ。
まあ、牡蠣の話はこれくらいにして。
僕なんかが無常という事を考えても、何か気の利いたことすら思いつなかいのです。
それはなぜか。
常なるものが見えていないから、なんだろうな。
それにしても、もう少しまともな面白い文章が書けないものかと、自分で自分が嫌になっている。明日も書くけどな。
