中学で仲良くしていた友人のLINEのグループに、宍道湖の花火の写真が送られてきた。
夏だなぁ。
LINEといったSNSがいくつか使えるようになって、それ以前であればもう一生やりとりすることもなかっただろう学生時代の同窓と、文字を通じでだろうがやり取りできるのはありがたい。
当たり前だけど、中学の友人からLINEが来ると、中学時代のことを少し思い出したりする。
もう50年くらい前の話だ。
平気で生徒に暴力を振るう教師がいた。それで僕は多くの教師を好きになれなかった。
今、思い出しても教師失格の人が多かったと思う。
ただ、その中で、古典の先生は違った。
「なんで昔の文章を読む練習をするんかと思うかもしれんけど、絶対損はさせん」
「今日教えたことはテストに出すが大事じゃない。ええか、大事なことを教える。これからの人生を生きる上で頭の片隅に置いておかんといけんのは、人生は、無常である、ということじゃね。これはテストには出さんが、大事なことじゃ」
まだ何もわかっていなかった中学生たち(その中の一人に私がいます)にも、その先生が語ることはどこか魅力的で惹きつけられた。
それって清少納言の感想ですよね?
その先生との、ちょっとしたやり取りを覚えている。清少納言の枕草子の授業の時だ。
「先生は枕草子を褒めるけど、この文章のどこが面白いんかわからんです。ただ、自分の感想を書いとるだけじゃ。」
と私。今風に言えば「それって清少納言の感想ですよね?」って言うやつ。
生意気な中学生だったと言えばそれまでなんだけど、この先生はこのような発言だろうが生徒の心の動きを大切にする人だった。
「確かに。感想と言えば感想じゃのう。ワシもそう言われれば反論はできん。
ただのぅ、ワシのように歳をとると、これが単なる感想には思えず、この先に何かあるように思えるんよ。
今は、感想でええ。ただ、歳を取ってから、今のワシとのやりとりを思い出してくれると、何か感じることはあると思うぞ」
今、思うと、何と高度な授業だったのだろう。
花火
中学の友人から送られてきた花火の写真は宍道湖のものだ。
湖にも花火が映って美しい。
生まれて高校までは広島の郊外で過ごしたが、花火大会なんて行ったことが無かった。というより、花火大会そのものが今のように開催されてなかったんじゃないか?
打ち上げ花火を初めて見たのは、おそらく小学校高学年の時に友人の家族に連れて行ってもらったプロ野球オールスター戦が行われた広島市民球場だったと思う。
花火が打ち上がり、一瞬消えて大きく開き、さらに少し遅れてドンと言う大きな音が響く。ただ、感動したと言うより「ああ、綺麗だなあ、これが花火か」と素直に思った記憶がある。
大学1年生の夏に、隅田川の花火大会が復活した。テニスサークルの合宿の帰り数人の先輩たちとその花火大会を流れで見に行った。綺麗だった。が、やはりそれほどの感動もあったわけではない。
それから数年後、社会人になって鎌倉に住むようになったが、鎌倉の花火大会は、生まれて初めて感動した。
水中花火なのだ。
鎌倉湾の沖を眺めていると、稲村ヶ崎の方から小さな灯りが逗子の方へ動き出す。周りの慣習は少し色めき立って「何かが始まる感」が海岸に満ちてくる。
そして、孔雀の羽が広がるのだ。
稲村を動き出した明かりは、小さな船で花火玉を積んでいる。その花火玉をいいタイミングで連続して海に落としていくのだ。
水中花火だから、球状の半分しか海上で見ることはできない。ただ、それがまるで孔雀の羽のように見えるのだ。孔雀は扇が左右に開くように羽を広げるが、鎌倉の花火は海上の一点から同心円状に広がる。それがまた美しい
沖をゆっくりと進む船の明かりは、鎌倉湾のもう一方の端の逗子マリーナあたりまで進む。その間、孔雀の羽は連続して開く。
船が逗子まで到着すると、孔雀の羽はしばらくお休み。そこ代わりに空に何発か花火が上がった後、今度は逗子から稲村ヶ崎へ件の明かりは移動する。
この往復を数回やるのだが、これには、心底感銘した。
鎌倉の花火大会に感動した私は、それ以降、数年会社の同僚を誘った。花火大会の日には早めに海岸に行き、席を取ってみんなで楽しんだ。
ところが、ある年から、「もういいや」と思うようになった。
その年は、最後に打ち上げる大きな尺玉をメインイベンターとしてテレビ東京のアナウンサーが現場で不自然なMCを行っていた。
水中花火は、毎年のように綺麗だった。でも、最後の尺玉は、空が花火の煙で曇っていて、大きな音だけが聞こえた。
鎌倉の花火は、水中花火がメインイベンターなんだよ。そこを間違えてはもういけない。
誘った会社の同僚は「よかったー」と言ってくれていたが、僕は何だかすまない思いでいっぱいだった。
そして東京のテレビかなんかで宣伝したのか、その時からやたら人が多くなり異常な混みようだった。
それ以来、鎌倉でなくても、花火大会には足を向けていない。
中学の同僚とのLINE上で
中学の同僚とのLINEグループでも花火大会の話が盛り上がった。
「もう、花火大会には行かなくなっなあ」
「ウチも、行かん。ベランダからちょっとだけ見れるけえ、それで十分よ」
「もう、歳を取ったんかね、みんなもっと元気だそう」
そんなやりとりが続いた後、
「いやもう、派手な花火はええわ」
さらに夏の夜の過ごし方に話は及ぶ。
「夏の夜は、静かにして虫の声を聞いたり、星を眺めたりするのがええよね。」
「月見るのも好きなんよ、ウチの屋上から」
あれ?こんな話どこかでした記憶があるぞ?デジャヴュー?
と思ったところで、中学の古典の先生を思い出した。
ああ、歳を取ると、確かに。夏の夜に、染み入りました。
