エッセイ

お盆の入りの弾丸墓参りツアーで想う、父と母の晩年の想い

今年は母の新盆で、とにかく墓参りには行かなくちゃ、と思い、昨日8/13自分の体調も良くなかったけど弾丸で広島に帰ってきた。

中島みゆきさんの『帰省』という楽曲がある。
故郷を出て父や母から離れて生きている私、いやもう父も母も他界してしまったのでこのことは当てはまらないのかも知れない。生きていた私にとっては、正直なかなか手厳しい歌詞だ。

父や母が生きていた頃。もっと故郷に帰って色々話をすればよかったと思う。もっと親孝行できたと悔やんでいる。
結局、親孝行しに故郷に帰っていたのではなく、自分が甘えるために帰っていたようなもんだったしな。

もちろん、私の父や母が聖神君子であったわけではないし、世の中には、親が自分の子供を痛めつけることがたくさん発生しているのは知っている。
僕も人の親だけど、親として間違ったことをしていないなんて到底言えるわけはない。
だから、親のことを押し並べて話をすることはあまりいいことだとは思わない。

これらのことを前提とした上で、それでも私の父と母は、私に無性の愛を降り注いでくれていたのだと思う。

証拠はないんですけどね。でも何かそう感じるんですよね。

父の葬式では、結構の人が、母の葬式だと勘違いをしていた

父が死んだのは何年前になるだろう。40数年前のことだ。僕が社会人になって1年目だったと記憶する。2年目だったかな。
息子の私が言うのも何ですが、父は頭脳明晰だった。ただ、明晰過ぎて自分で持て余していた、というか制御不能となっていたところがあった。
それは神経がいつも鋭敏になり過ぎていて、色々な疑心暗鬼にも繋がり、いつも癇癪の爆弾を抱えていて、それが破裂する対象は多くが母であった。

だから、と因果関係の接続詞をここで入れるのが正しいかどうかはわからないが。事実関係として母は心臓を患っていた。舌下錠を常に持ち歩いていて心筋梗塞の発作が起きた時はそれを飲ませてくれ、と折あるごとに姉と私に伝えていた。
姉も僕も、母の寿命はそう長くない、と覚悟していた。

ところが。
父は、55歳で亡くなった。
脳血栓からの医療ミスだったんだけど。
僕も20代前半だったし、突然亡くなった感は強かった。
確かに、晩年の父はずいぶん弱っていたけど、それでも亡くなるとは思っていたなかった。

そんなことで、父が亡くなる少し前までは、
母はいつ心筋梗塞で倒れてもおかしくない状態だったし父はそれなりに元気だったので、
田中家から葬式が出る、と近隣の人が聞いたときは、かなりの人が、母が亡くなった、と勘違いした、と言うのは、そう言うことだったのだ。

父は、なぜ、早く亡くなったのか。もう一つの物語

父は、脳血栓から医療ミスで亡くなった。これは間違いない。
でも、僕は、家族という観点から、もう一つのストーリーを考えていて、それはかなりの確度で正解に近いのではないか、と思っている。

父は、自ら、早く突然亡くなったのではないか、ということだ。
この世の人間としての父が、人間としての意思で死を選んだというわけではないと思う。
ただ。
もう少し霊的な観点で考えてみると。魂とかそのような観点で。
父は、あるいは父の魂は、もうこの世から自分がいなくなる、この世の現実から消える方が、きっとこの家族にはいいだろう。であれば、早くこの世から消えよう、と思ったのではないだろうか。

母は、父に苦労をさせられた。というように少なくとも僕には感じられた。心臓もストレスからかなり弱っていた。
癇癪を頻繁に起こしていた父には、姉も僕も、かなり嫌になっていた。
父は、そんなことを全部わかった上で、「じゃ、このあたりでおさらばするかな」と思ったのではないだろうか。

実際、父が脳血栓で倒れて10日目。医療ミスを起こされて自発呼吸ができなくなって3日目の夜。父の入院先のベットの横で付き添っていた僕は、父の「それじゃあの。そろそろ行くわ」といった声を頭の中で聞いている。

「ワシがおらん(いない)方が、これからこの3人は楽しいじゃろう」と思ったのではないか?
愛する妻は、健康を取り戻し、娘も息子も充実して生きていけるのではないか、と考えてその確信を持っていたのではないか。
だから、父は、そんな挨拶を僕にして、他界したのではないかと思っている。
結論から言うと、
息子の僕は、色々問題があった父ではあるが、やはり家族への愛は深かったのだ。
無性の愛を降り注いでいてくれたのではないか。
妻にも、娘にも、息子にも。

その後

その後、母は、昨年の9月12日に、他界するまでつまり95歳まで生きた。
父と母は、同級なので、父が亡くなってから40年生きたのだ。

心臓の病気は完治した。主治医からは「これはもう別人としか思えん」と驚かれた。
これは、母が元気に生きるために努力したこともあるだろうし、天の恵みもあったことは間違いない。が、父の、想いがこの40年に詰まっていることも間違いないだろう。

さて、母は、そんな夫に対して、どのような想いを抱いていたのだろう。
姉と私が家にいた頃は、毎晩激しい夫婦喧嘩をしていた。
夫が早く他界してくれて、喜んでいたところはあったのかもしれない。

ただ、それこそ母の晩年、スマフォや銀行口座のいろんな暗証番号を聞いてみると、全部、夫の誕生日をアレンジしたものだった。

夫婦関係は、息子といえども、わからない。

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