相原コージさんの作だったと記憶してるのだけど(違っていたらごめんなさい)、超能力者を描いた漫画があった。
その男性はサイコキネシスの持ち主。ただしその力が発揮できる対象が限られている。
その対象は瓶の栓。
念を集中し、瓶の蓋に意識を集中すると、シュポンというい軽やかな音を立てて蓋が数センチ上に飛んで落ちる。
凄い。
しかし彼は悩むのだ。この能力は何の役に立つのだろうかと。
瓶の栓なんて栓抜きがあれば事足りる。何ならツイスト式の栓もあるくらいだ。
サイコキネシスを使って栓を開けるなんて、ナンセンスだし、栓が飛ぶ時のシュポンという音は滑稽でさえある、と。
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何の役に立つ?
実際、私がまだ若者と呼ばれていた数十年前には、念でスプーンを曲げる人がマスコミに登場し、お茶の間や学校を沸かせた。インチキだという人もいた(僕はあれは超能力だと思っている)。
一方で次のように反論する人もいた。
何の役に立つのだ?と。
確かに、先ほどの栓抜き超能力者も、このスプーン曲げの人も、役には立ってない感満載だ。スプーンなんて曲げられたらめちゃくちゃ迷惑だ。
でもね。
私は言いたい。
役に立つことだけが、大切なのですか?
超能力者とは言えないかもしれないが、異能力車はたくさんいる
布団を回す、関西弁の叔父
私の叔父は、もう90歳に近いが、彼が若い頃、右の人差し指を伸ばしてそこに座布団を乗せ、見事に回した。お盆か何かで親戚が集まった時は、子供達からせがまれてこの座布団回しを披露した。子供達の要求はエスカレートして右手で回すもの敷布団までエスカレートしたが、さすが私のおじさんである。大きな布団を見事に回した。おじさんは学生時代は神戸で過ごしたので、口上が関西弁で何とも言えない楽しい雰囲気を作るのが上手だった。
(この技は、私もしっかりおじさんから引き継いで、座布団から敷布団まで回すことができる)
でも、何の役に立つ?
サッと駆け出し天井に張り付く男
私が社会人1年生の時である。
某日用品メーカーの宣伝部に勤めていた私が所属していたチームと、当時は築地、今は汐留のD代理店のご担当の方々と、宴会があった。場所は築地のしゃぶしゃぶ屋さん。確か私の新人としての歓迎会だったようななかったような。
宴も終盤に差し掛かった頃、私の上司が「Mさん、あれお願い、あれやって」とD社のMさんにリクエストを出した。
周りの人たちも「おう、見たい見たい、やってくれ」と囃し立てる。
Mさん、満更でもなく「そうですかぁ」と反応したかと思ったら立ち上がって壁に向かって走り出した。一気に加速する。壁にぶつかる、と思った瞬間、Mサンは壁をスタスタっと駆け上がって数秒天井にヤモリのようにへばりつき(天上のサンを掴んでいたように記憶する)、ひらりと畳の上に舞い降りた。
忍者だ。
さすがD社。大学上がりの新人を驚かすには余りあるアトラクションだった。
でも、何の役に立つ?
手も触れず、そのまま発射する男
これから話すエピソードは私が見たものではない。しかし、これもまだ私が20代の頃、ガールフレンドがロンドンで見た、と言って話してくれた。彼女の性格からして、99%真実だと思う。
彼女はロンドンに、会社からの派遣留学で3ヶ月ほど滞在し、いよいよ日本に帰ることになり、その送別会をショークラブ的なところでやってくれたそうだ。
その男が登場したのは、ショーのクライマックス。
筋肉を鍛え上げた男が全裸(下も)で登場し、スポットライトの中に立つ。
微笑む彼。すると数秒後に、彼の逸物(イチモツ)が大きくなっていく。もちろん、本人も誰も逸物には触れていない。
彼の微笑みは続く。逸物はさらに大きく、固くなってく。
そしてそのサイズは限界を迎えはち切れんばかりになった瞬間、逸物から液体が発射された。
そのショー最大の興奮。フロアは歓声と拍手で包まれた。彼女も、とにかく感動したそうだ。
確かにな。男性ならわかると思うが、彼のやったことがどれだけ凄いか。
でも、何の役に立つ?
自由自在に鳥肌を立てる男
さて、最後にもう一人、異能の男を紹介しよう。
彼は、遠山の金さん(知らない若者も多いだろうな……)のように、片腕を出すと、自分の意識をコントロールし、その腕に自由なタイミングで鳥肌を立てることができるのだ。
気持ち悪い?見たくない?
いやいや、そうですか。
実はこれは私の特技なのですが、皆さんに披露するとそれなりに受けるのです。
もちろん、何の役にも立ちませんが。
役に立つことが、全てではない。そのことそのものを味わえばいいと思う
どうも最近の日本は(って勝手に言わせていただきますが)、役に立つことしか価値がない、といった風潮のような。
何かの役に立つことは、素晴らしい一面もあるけど、そうでもないこともあるし。みんなの役に立っていた、と思ったら後から考えたら飛んだ迷惑だったとか。多くの人を傷つけていたとか。
よく、数学で学んだことは、社会では使わない、とかいうけど、そんなことないし、使わなくてもいいじゃん、とも思うのです。
日本の教育制度やカリキュラムは見直す必要はあると思うけど、その時も「役に立つように」という考えでやって欲しくないんですよね。
役に立つとか立たないとか、それは結果でしかなくて。
どんなところにも面白いものが文化として存在する。それを大切にすることが大事なんだと思うんですよ。
茶道とか、能とか、役に立っているとは、僕は思えない。でも、とても大切なものだというのは感じる。
古武術の剣術なんて、今時使えないし使ったら犯罪だ。つまり役には立たない。でもずっと続いて存在して欲しいしこれも大切なものだ。
大学での学問もそうだ。
大学は社会に出て役立つものを教わったり研究するところではないはずだ。もちろん役立つものも学ぶでしょうが、本来、研究そのものを純粋に行うところであり、だからこそ尊いのだと思う。
それって役に立つの?
そもそも、その質問自体、何の役にも立ってないのだよ。
