エッセイ

商店街や横丁は僕らの暮らしの命だった。快活や陰湿の飲み込んで。

僕が育った地域の商店街は、魚屋と床屋が向かい合っていた、当時、つまり半世紀以上前のことだけど、そこを通るのが嫌だった。小学校低学年の僕に対して、魚屋と床屋の親父が、ちょっかいをかけてきた。

「お父さんに怒られて泣いてないか?」
「今度いつ散髪に来る?クリクリ坊主にしちゃろうか?」

まあ、たわいもなくからかってただけなんだけど、本当に嫌だった。

順番を守らないおばさんばかりの肉屋

肉屋へのお使いも大嫌いだった。
豚肉や鶏肉が並んだショーケースを挟んで肉屋のおじちゃんとやり取りをするのだが、買い物のおばちゃんたちで混んでいて、順番なんてあったもんじゃない。僕が注文しようとしてもそのチャンスも与えられず。何もできず時間が過ぎていった。

商店街は、鬱陶しさの塊だった。それでも僕は、いや、その地域に住んでいた人たちは、商店街に買い物に行かざるを得なかった。
その頃、僕と同じクラスの友人の家で、自家用車を持っていたのはほんの数軒。買い物に行く行動範囲は、歩いて行ける距離と限定されていたし。

スーパーマーケットの襲来

商店街より、少し遠いところに、大きな規模のスーパーマーケットができた。
商店街に通っていたおばちゃんたちは、歩いてではなく自転車に跨って、こちらに通いはじめた。
近所の商店街のお店に遠慮しながら、それでも少しずつスーパーマーケットで買い物をする回数の方が増えていった。

僕のお使いも、自転車でスーパーマーケットに行くことが多くなった。

これは楽だった。もう、あの、我先にと肉屋で注文を争うおばさん達はいない。僕をからかう魚屋も床屋もいない。お会計だって、順番に並べばいい。

煩わしさがなくなった。これが新しい生活だ、これがこれからの日本だ。オーバーかもしれないけど、きっと僕はそう感じていた。

そして僕は高校を卒業して故郷を出た。それが当たり前のように。何も考えず。あの商店街的なものから離れらることを喜びと感じながら。

消えた商店街

あの頃から50年くらいが過ぎた。

僕が育った場所の、あの商店街は消えた。

僕の故郷の商店街では、魚屋さんが唯一一軒残っただけだ。

床屋も、八百屋も、肉屋も、パン屋も、酒屋も、呉服屋も、うどん屋も、たばこ屋も、薬局も、全部もう、ない。

今、この道を初めて歩く人は、その道が、山陽道旧道で昭和の中頃まで多くの商店とそこを訪れる買い物客で賑わっていた通りだとは想像もできないだろう。祭りの日には、この商店街を流鏑馬の馬が飛ぶように走ったことも。

スーパーマーケットも消えた

5年くらい前の話だろうか。

私の実家から歩いて40分くらいのところに、もっと大きな商業施設ができた。
ナショナルブランドのショップがならぶ、あの形式の商業施設。

かつて、歩いて5分の商店街を消滅させた、歩いて15分のスーパーマーケットが、今度は消滅する番だった。

そしてこの街は、既に自動車免許の返納をした高齢者も多く、自分一人では買い物に行けない買い物難民が多く生まれた。
商店街はなく、それを潰したスーパーマーケットも無くなったのだ。

これが、僕たちが歩んできた時代だったんだと思う。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし

いずれこの大きな商業施設も無くなるだろう。

栄枯盛衰。盛者必衰の理。

さらに疑問は、この大きな商業施設は、今の段階でも栄えているのだろうか?
大きな施設だけど没個性で、この地にある意味を見つけづらい。地元の企業なので栄えて欲しいが、なかなか難しいのではないか。

この大きな商業施設に取って代わものは、何だろう?

これが次の、僕たちが少しでも豊かに暮らしていくための鍵になるのだろう。

これから、僕たちは何を子供達に残せるだろう

あれほど鬱陶しかった商店街が、今は懐かしい。
ちょっかいをかけてきた魚屋さんや床屋さん、あれは大切なコミュニケーションだったんだな、と今になっては分かる。

あの家の親父はタコが好きだから、今日はそれをお勧めしよう。
最近、山崎さんのお母さんが来ないけど、元気なのかな?
この前、オタクの息子さん、運動会で大活躍じゃったねーー

商店街は、その地域の人がつながる広場だったんだ、ということが今にしてわかってくる。リアルSNS。

お互いに、色々あるかもしれないけど、顔が見えるから、その人のことが元気かどうかを気になける関係があった。

そのような鬱陶しいけど、優しさが機能した共同体的関係を、意識していたのかしてなかったのかはわからないけど、いろんな角度から切りながら、解体しながらここまできた。それが昭和からの成長だった。

そして、民主主義は瀕死状態だ。数の論理だけが罷り通り、弱っている人を助けようとする人も少ないように思う。

商店街があった頃は、近くに住んでいる人のみんなの顔がイメージできて、自分ごとの一部だったけど、今は多くが他人事だ。

そろそろやり直さないといけないんだと思う。

このような状況で、新しい命も生まれづらい状況だけど、それでも新しく生まれてくる命のために、彼ら彼女らが生まれてきて、よかった、と思えるために。

僕らは少しずつ、懐かしくって新しい商店街的なものを、紬出していかなければ、ならないんだと思う。

 

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