日本で一番美味しいイタリアンはどこ?
と可愛い女の子に聞かれたら、迷わずに答える。
稲村ヶ崎のロンディーノ。タベルナロンディーノだと。
ロンディーノにはじめて行ったのは、40年くらい前だったと思うけど、今でもたまに、江ノ電に乗って昼ごはんを食べに行くことがある。
つまり40年以上も、僕の中でのイタリアンNo.1なのだ。
お店の方が考えていらっしゃるコンセプトはあるんだろうけど、まあ、僕が客としてどこが気に入っているか、というこを中心に書かせていただく。
まだ、イタリアンという言葉が輝いていた頃
昭和の頃。僕が大学生になりたての頃は、
イタリアンなんて言葉は効いたことがなかった。ナポリタンだった。それとミートソース。
小学生の頃はスパゲティではなくソフト麺だった。
わかるかな?わかんないだろーなー。
ただ、お口の恋人 ロッテは早いうちにイタリアンに目をつけていたんだと思う。
ロッテリアでイタリアンホットというメニューがあった。
ピザのような風味で、僕は当時高校生だった姉からご馳走になったんだけど、衝撃的に美味かった。
また、ロッテはイタリアーノというアイスクリームも販売していた。
「太陽のデザート」というコンセプト。
こちらも美味しかったが、当時、プロ野球のロッテオリオンズの監督をしていた金田正一氏がコマーシャルに登場するようになって、何となく食べる気を無くした。
金ヤンは好きだったけど、イタリアーノというオシャレなアイスのイメージではなかった。
まあ、あの頃のイタリアン的な思い出というと、これくらいの感じだ。
ピザに遭遇することもあまりなかった(僕のピザとの初遭遇の話はこちら「中学3年生の少年には、全てが刺激的すぎて、泣いた……衝撃の一皿シリーズ その2」の記事で)。
浪人生だったころ、予備校の近所に壁の穴ができて、納豆やタラコのスパゲティを食べた時は衝撃だった。
その頃からだんだん、スパゲティという言葉を使わなくなり、パスタというようになってきた。
そしてイタリアンという言葉もよく聞くようになった。
いや、イタメシ、と言ってたような記憶もある。
何がイタメシだよ、と今更ながら恥ずかしいな。
ティラミスにエスプレッソを組み合わせていた。
エスプレッソに関していうと、はじめて頼んだ時、あまりにも小さなカップで出てきたので、これは間違いではないか? あるいは馬鹿にされているのか? と思った。
不安な心持ちで飲んだら、予想以上に苦く、まるで拷問のようだった。
そうやって二十歳を超え、僕は社会人になった。
いつだって時代は変わっていっているんだ。
稲村ヶ崎、タベルナロンディーノ
稲村ヶ崎の付け根にロンディーノはある。席からは窓越しに七里ヶ浜を通して海が見える。当時としては珍しいテラス席も会った。もちろん今もある。
社会人になって2年目で僕は鎌倉に引っ越した。そして初めて、タベルナロンディーノに行って食事をした。
やはり同じく鎌倉に住んでいた友人と一緒に行った記憶がある。
1階と2階の雰囲気は結構違い、1階は魚介などの食材が平台に並び、それを見ながら料理を注文できた(多分、今もそう)。2階は予約席だったと覆うけど、小さなセンスのいい室内に、比較的小さ生どから海からの光が差し込む。
もう、最高。
僕はほとんど1階のエリアでしか食事してないけど、海の側で真っ昼間からワインを開けて塩気の効いたムール貝などを摘んでいた。夏はビーサンで、そんなドレスコードも嬉しかった。
そして衝撃を受けたのは「烏賊墨のパスタ」。
僕の記憶が正しければ、生まれてはじめて食べた。黒いパスタなんて見たこともなかった。
恐る恐る口に入れたが、これがめちゃくちゃ美味かった。
潮の香りと甘さが混じり、ほんの少しだけ苦い。
僕は烏賊墨のパスタを一口食べた時から、鎌倉でのソウルフードになった。
そして、一番美味いイタリアンは、タベルナロンディーノになった。
ソウルフードは、食べた後に注意
僕は広島で生まれ育った。
ソウルフードはお好み焼きだ。
おたふくソースの味だよね、と40代の頃まで思っていたけど、最近は違う。キャベツの蒸らし具合で味が決まることを知った。
ただし、青海苔には注意だ。
歯にくっついてしまう。
社会人になってからは多くの時間を鎌倉で過ごしている。
ソウルフードはロンディーノの烏賊墨のパスタ。
これも要注意。
唇と歯が、真っ黒になる。
ソウルフードはどうやら歯にまとわりつくらしい。
手鏡を忘れないように。
それからパスタの話は「イタリアの地中海が見える峠で出会った天上のパスタ」こちらもぜひ、読んでください。
